一之宮 正臣 氏
芝パークホテル 社長室
94年日本ホテルスクール卒業。
ガソリンスタンドでサービスに目覚める
一之宮さんは高校生のころ、実家の隣のガソリンスタンドでアルバイトをしていて、そこで接客の仕事に目覚めて、ホテルの勉強をしてみたくなったのだとい う。なんとなく違和感を感じて、「ガソリンスタンドで?」と聞き返してしまった。筆者自身はガソリンスタンドで、あまり手厚い接客を受けた記憶がないもの だから。
「(笑)そうですよね。私は山梨の出身で、田舎の小さなガソリンスタンドだったものだから、逆に手厚いサービスをできた のだと思います。車種とナンバーですぐにだれが給油に来たのか分かる。地元密着ですからツケ払いのお客さんがほとんどで、名前を聞かずに伝票を書いておい たりするんです。行楽シーズンは県外ナンバーの車が給油に来ると周辺の観光案内をしたり、夏は冷たいおしぼりをサービスしたりして喜ばれました。オーナー も信頼してくれていて開店から閉店まで私一人にお店を任せてくれていたんです」
ホテルでも、優秀なドアマンは車種とナンバーでお客さまを覚えている。ホテルの車寄せに入ってすぐに「○○さま」と名前を呼ばれるのはうれしいものだ。
「将来はホテルで働きたいという意志を親に話したら、父親がリゾートホテルに私を連れていってくれたんですね。そこで出会った黒服の人が素晴らしい人で、そのときにホテルマンになることを本格的に決意して、日本ホテルスクールに入りました」
外国人貿易商御用達ホテル
取材などで訪れるたびに思うことだが、芝パークホテルは"良い意味で控えめ"なホテルだと思う。老舗ホテルならではの落ち着いた雰囲気があり、とりたてて目立つことをしないというイメージがある。
一之宮さんも、学生時代の実習でここに配属されるまでは、どんなホテルなのか知らなかったそうだ。
「2回目の実習先が芝パークホテルのベルでした。東京タワーの近くにあることくらいしか知らなくて、どんなホテルなのか不安でした(笑)」
一之宮さんの想像上の芝パークホテルと実際の芝パークホテルは、まったく違うものだったようだ。
「ま ず外国人が非常に多いことが驚きでしたね。そして、ほど良い大きさのロビー、お客さまとスタッフが醸し出す雰囲気がアットホームで良かった。その一方で サービス向上に対する要求がすごかったんです。研修生でも他のスタッフと同様に『今日、君が気を付けようとしていることは何?』などとキャプテンから聞か れました。
接客内容や立ち居振る舞いで悪い部分があると厳しい指導も受けました。それらが気に入って、2カ月の実習が終わるころには将来は絶対にここでホテルマンになろうと決めていました」
芝 パークホテルは戦後まもなく、当時の貿易庁(現在の経済産業省)によって建てられた国営ホテルである。いわば、外国人貿易関係者のために建てられたホテル で、通称バイヤーズホテルと呼ばれていたほどだ。このころからずっと外国人比率の高いホテルで、現在でも外国人比率は50%を超える。
「リピーターのお客さまが多いからアットホームなんです。外国に住んでいるお客さまが、自分のことを覚えてくれて、何カ月後かにいらっしゃったときに、また名前を呼んでくださる。これはうれしいですよ」
入社して間もなく、ベルボーイをしていたころ、外国人の年配夫婦のアテンドをしたことがあった。夫婦は初来日で、日本のことは皆目分からないと言う。「富 士山を見てみたい」というので、一之宮さんは一生懸命に時刻表で調べて、何時に何番ホームにいればいいのかまで、詳細にメモ書きをして渡してあげたそう だ。
「決してスマートではなかったと思いますが、一生懸命にやっていることだけは伝わったようでした。数カ月後にそのご夫婦からエアメールが届いたのです。感激でした」
手紙の書き出しは、こうだった。"日本のわが息子へ"その手紙は一之宮さんの宝物になっている。
多くの誇らしい人材を生かしていきたい
ベル、フロント、宿泊予約、営業企画とキャリアを重ねた一之宮さんは現在、社長室に籍を置いている。
「社 長室は部署名どおり、経営方針や考え方をさまざまな形で具現化し、各スタッフに理解してもらい浸透させるのが仕事です。また、ホテルにとって必要と思われ ることを自ら見つけ出して取り組むのも業務の1つです。セクションや担当を超えて、横断的に社内業務を行なうことのできる部署です」
社内のIT関係、人材育成など、さまざまな部門とかかわりながら進める業務が多いという一之宮さん。
「人材育成ということで言えば、社内の有志と連携して、バーテンダースクールを開講したことが記憶に新しいです」
芝パークホテルには料理人、ソムリエ、バーテンダー、サービススタッフなど素晴らしい実績を持つ人材が多い。彼らのノウハウをほかのスタッフ、ひいては社外にも知らしめたいということで立ち上げたのがバーテンダースクール。
「単 にカクテルレシピや商品知識などを講義するだけではなく、プロを目指すバーテンダーとして必要不可欠な技術を習得できるように実技を中心とした体験型のス クールです。講師は芝パークホテルの『フィフティーン』とパークホテル東京の『バル ア ヴァン タテル・ヨシノ』でカクテルコーディネーターを務める鈴木隆行です。鈴木はNHK文化センターのカクテル講座で講師も務めるバーテンダーで、彼から技術と サービスを多くの人に学んでもらいたいと始めたのです」
毎回10人定員で、すでに卒業生のうち2人が両ホテルでバーテンダーとして活躍しているという。
「『タ テル・ヨシノ』の吉野建シェフはもちろん、サービスではクープ・ジョルジュ・バプティスト国際杯で準優勝した田中優二。日本では、まだ取得者の少ないス コッチ文化研究所認定ウイスキー・エキスパートの資格を持つ藤川欣智など、私たちのホテルには誇れる人材が多数います。今後は、もっと彼らの存在を生かし ていきたいですね。最近の動きとしては日本初のホテル内中國料理店『北京』の1960年開店当時のレシピを中川隆夫北京グループ顧問から伝承するべく、東 名阪の北京各店料理長が集まって勉強会を開催しています」
社長室に異動してからは、ホテル経営の中枢を担っている責任を感じるという一之宮さん。
「常にトップの考えていることを生で聞くことができる状況に置かれています。会社がどこに向かおうとしているのかを肌で感じることができるし、そのために今、何をしなければならないのかを考えることができます」
経営陣の考えを現場スタッフにスムーズに浸透させるのが、一之宮さんの最大の役割。では、一之宮さん自身としては芝パークホテルをどんな組織にしていきたいのか。
「良 いホテルであると同時に良い会社でありたい。そのための業務改革や宣伝活動をすることが私の使命だと思っています。きちんとチャンスの与えられる会社であ ること、そして、そのチャンスを生かして満足いく仕事のできる会社でありたい。決して、挑戦した人が貧乏クジを引くようなチャレンジ損があってはいけない と思っています」
ゆるがない「主客一如」の精神
芝パークホテルの企業理念に「主客一如」という言葉があるそうだ。
「主客一如とは"お客さまの気持ちや立場になり切って考える"という茶や禅の世界で使われる言葉です。人をもてなす道を究めるということを芝パークホテルはずっと昔から真剣に取り組んできました。奇をてらわずに、こつこつとそれをやってきたホテルです」
そのひたむきな取り組みが、宿泊客の数多くをリピーターが占めるという現在の結果を生んでいる。リピーターに愛され続ける秘訣を教えてほしい。
「"伝 承"だと思います。とてもアナログかもしれませんが、それが芝パークホテルの最大の武器であり文化です。ベルボーイだったら、先輩が顧客の顔の似顔絵を描 いて、その方の特徴や志向と一緒に後輩に伝承していく。スタッフ間で似顔絵コンテストのようなことも、やっていました」
一之宮さん自身もロビーに立っていたころは、先輩から「あの人の名前分かるか」と頻繁に聞かれたそうだ。
「答えられなければ悔しいし、同期が自分の知らないお客さまを知っていると、また悔しい(笑)。そんな感じで、とにかく努力してお客さまの顔、名前、特徴を覚えていきました」
先輩たちが「伝え」ようとする努力、それを後輩たちが「承ろう」とする努力。この2つが相まって芝パークホテルの「伝承」の力ができている。この数々のノウハウを次世代へ受け継いで行くために文書化し、2000年に同社はISO9001を取得している。
創業60年。新たなステップへ
芝パークホテルは間もなく創業60年。03年の9月には東京・汐留に「パークホテル東京」を開業し、会社としては新しい時代に入っている。主客一如の精神でひたむきにお客さまと向き合ってきた老舗ホテルが、新たな姿を見せようとしている。
サービスもデジタル化する現代だからこそ、「伝承の力」に基づいた芝パークらしいホテルであり続けてほしい。
(2006年取材)
94年日本ホテルスクール卒業。同年芝パークホテル入社、ベルデスク配属。96年フロント。00年宿泊予約。01年営業企画。03年から社長室。