まれなケースだと思うが、大場さんは4年かけて日本ホテルスクールを卒業している。1年生と2年生の間に、シアトルの単科大学への留学とビバリーヒルトンホテル・ロサンゼルスでのインターンがそれぞれ1年間ずつ挟まれているからだ。
ビバリーヒルトンホテル・ロサンジェルスといえば、アカデミー賞が開催されるホテルとして有名だ。
「アカデミー賞開催期間中は大変な騒ぎですよ。スクリーンで見るスターたちを目の前で見られたのはうれしかったですね」
そう話す大場さん、ホテルマンという人生を真に選択したのも、このビバリーヒルトンホテルで働いたことが影響しているという。
「本当の意味でホテルに目覚めたのは、このころですね。同時に、どうやったらホテルの仕事で生涯を生き続けられるかを考え始めました」
大場さんは当時、21歳だった。しかし、アメリカのホテルには20代前半で管理職に就いているホテリエが大勢いる。どうやったら彼らのようなキャリアを踏めるのだろうか。
「ビバリーヒルトンに23歳でマネジャーをしているドイツ人がいたので、彼に聞いたんです。どうやったら、君みたいになれるのかと」
彼の答えはシンプルだった。大学でホテル経営学を学ぶべきだというのだ。
3時間寝られればラッキー
日本ホテルスクールを卒業してパークハイアット東京に入社した大場さんだが、一つの明確な目標を持って働いていた。その目標とは、お金をためてスイスのローザンヌホテルスクールに留学すること。23歳のドイツ人マネジャーに教えてもらったことを実現しようと努力していたのだ。
「ニューヨークグリルで働いていました。とてもいい先輩に恵まれて、勉強になりました。でも、当時はあまり遊びにも行かないで、こつこつとお金をためることを考えていた。ボーナスなんか一銭も使わずに貯金しましたよ」
この後の人生も一貫してそのスタンスは変わらないが、大場さんは目標のために一切の努力を惜しまないタイプである。
「2年間で300万円くらいためました。軍資金としてはぎりぎりの金額だったんですけどね」
ローザンヌでは死に物狂いで勉強したそうだ。この学校、卒業するのは並大抵のことではないらしい。語学のハンディがある日本人はなおのことである。大場さんは毎日3時間睡眠で勉強した。
「3時間寝られればラッキーでしたね。ネイティブの人たちが、ぼろぼろと単位を落としていくんです。大変な授業でしたよ」
インターナショナルホテリエ誕生
死に物狂いの努力の末、予定どおりにローザンヌを卒業すると、ハイアット、ヒルトン、フォーシーズンズ、マンダリン・オリエンタルと、大場さんは世界のホテルブランドを渡り歩くようになる。
大場さんは、それぞれのホテルに明確な違いを感じたという。
「どのブランドも明確に違いを感じますね。あまり短期間に会社を動きすぎるのはよくないことだと人から言われたこともあるのですが、動いてきたからこそ見えたものもたくさんあったので、結果としてはよかったと思っています。僕の年齢で、ここまで世界の各ブランドについて、内部まで理解している人間っていないと思うんですよね」
大場さんから見て、日本人ホテリエに足りないことはなんだろうか。
「数字に弱いことと、リーダーシップが発揮できないことです。特にリーダーシップが外国人に比べて圧倒的に弱い。ドイツ人やスイス人の持っているチームをまとめる力はすごいですよ」
必要なときに部下を褒めることができ、また叱ることができなければ、チームはまとまらない。日本人はそれが不得手らしい。
「ホテルビジネスにおいて言えば、リーダーシップとは目的を成し遂げるために必要不可欠なツールだと思います」
ぜひ若手ホテルパーソンたちの先陣をきって、大場さんには強いリーダーになってもらいたいものだ。
(2006年取材)
さらなる目標に向かって
それから7年。
39歳になった大場さんは現在、ザ・ペニンシュラ東京の副総支配人として活躍している。
「会社としての大きな決定や判断は総支配人の仕事。副総支配人は、ザ・ペニンシュラ東京のあるべき姿を正しくお客様にお伝えするために内部調整を行い、常にスタッフと良いコミュニケーションを取りながら、一つの方向へ導いていくという大切な役割を担っています。また、運営部門のトップとして、日々のオペレーションがスムーズに回るよう努力する必要もあります」
世界のホテルブランドを渡り歩いてきた大場さんだが、現在のペニンシュラでもっとも長くホテリエとしての時間を過ごしている。
「ペニンシュラは、従業員の価値を信じてくれている会社だと思います。うわべの経験ではなく、内面を見る企業体質なのでしょう。多くの国で働くチャンスもあります。また、年齢、性別、国籍など一切関係なく、マネージメントレベルで活躍できるのも魅力です」
そんな言葉を証明するかのように、大場さんはまもなく、ペニンシュラの旗艦ホテルでもあるザ・ペニンシュラ香港の副総支配人として赴任する。
着々と夢を現実にしているかのような大場さんだが、今後はどのような道を歩もうとしているのだろうか。
「若いころは『30代のうちに総支配人になる』と宣言していました。しかし、日々の業務の中で、ただホテルの総支配人になるだけでなく、世界的なラグジュアリーホテルで日本人の総支配人はまだまだ少ないですから、自分はそこを目指さなければいけない、と思うようになりました。そうすれば、若い人たちにとっても身近な目標にもなりますし、日本のホテル業界に少しでも恩返しできればいいな、と思っています」
その日は、そう遠くない将来に訪れることになりそうだ。
(2014年取材)