楠井 学(94年日本ホテルスクール卒業) ザ・リッツ・カールトン東京/営業部長
東京ミッドタウンプロジェクト
東京・赤坂、旧防衛庁跡地。敷地面積約6万8900㎡。ここに新しい街が誕生しようとしている。三井不動産を中心とする企業コンソーシアムが再開発を進める「東京ミッドタウン」である。
こ の街のシンボルともいえるミッドタウンタワーは地上53階地下5階、高さ248mで、都庁の第一庁舎をも追い抜き東京で最も背の高いビルになる。この巨大 ビルの45~53階に、ホテル業界だけでなく他業界からも熱い視線を注がれるホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」が入居する。客室数は248室。スタン ダードルームでも52㎡の広さを用意するという。
業界大注目のザ・リッツ・カールトン東京は、建設中のミッドタウンのオフィスで、着々とその開業準備を進めている。今回は、その開業準備室で営業部門の責任者を務める楠井学さんにお会いすることができた。
「間違いなく、ものすごいホテルが完成します。今から興奮しますね」と、自信たっぷりの営業部長は、今年33歳。若い営業部長がどのようにして誕生したのか、そのいきさつを聞いてみたくなった。
パークハイアット東京の開業
日本ホテルスクールを卒業した楠井さんは、パークハイアット東京の開業メンバーとして、ベルボーイに就く。
こ の「感動創造人」の企画を通して、業界で活躍している人物と多数お会いしてきたが、パークハイアット東京の開業時に、そこで修業した人材のなんと多いこと か。パークハイアット東京がそれらの人を育てたのであり、また彼らが今日のパークハイアット東京の確固たる地位をつくってきたのだろう。 楠井さんも、そ のなかの一人である。
「それでも、入社したてのころは、すごいホテルだという意識もなく・・・。新宿駅の南口から徒歩で通勤していたんですが、なんだか駅から遠いホテルで、こんなところまでお客さまが足を運んでくれるのかと、新入社員ながらに心配したものです(笑)」
そうこうしているうちに、多数の雑誌でパークハイアット東京の名前が躍りだすようになる。
「家族や友人に『すごいホテルで働いているんだねえ』と言われるようになって、初めてパークハイアット東京のすごさを意識するようになりました。僕の運の良さは社会人のスタートから始まっていたんですよね」
"運の良さ"と謙遜するが、ベルボーイの生活が3年経過したころ、楠井さんは自分のこれからの人生を考えて、ある行動に踏み切る。
「従業員カフェテリアで、ハイアット・リージェンシー・サイパンのスタッフ募集の張り紙を見たんです。張り紙を見たその足で、人事部に行ってしまいました」
自分を大きくしてくれたサイパン
極めて軽い気持ちで、とんとん拍子でサイパンにたどり着いてしまった楠井さんだったが、サイパンでは衝撃の連続。ここで世界で働くホテリエとしての基礎を身に付けた。
「サ イパンに到着して2週間目に猛烈な台風が来まして、スタッフはホテルに出勤してこないし、お客さまは身動きがとれないし、という大変な事態があったんで す。20時間連続でフロントに立ち続けて、くたくたで家に帰ったら、部屋が浸水してるんですね。バケツで水をくみ出して、ようやく寝たというのを覚えてい ます」そんな経験が、楠井さんを大きくしたのだとか。
「今までの自分が小さい人間だったんだなあと理解しました。海外に出れば文化がまったく違う。それに合わせてフレキシブルに対応しないとやっていけないんですよね」
現地のスタッフを指導する立場でサイパン入りした楠井さんは、最初のうち日本人に指導するようにガンガン上から叱りつけていた。
「で も、それではだれもついて来てくれないんだと分かったんです。叱るのではなく、逆に相手を盛り上げるように指導しなくてはいけない。遅刻なんて当たり前の 世界ですから、遅刻したら『飲みすぎは困るよ!』とか、冗談交じりに言っていく。そういうバランスが大切なんですね」
お客さまに仕事を教わった
サイパンでインターナショナルホテリエとしてのスタートラインに立った楠井さんは、ハイアットのコーポレートに入り、そこから香港へと活躍の舞台を移していく。
「香港のグランドハイアットが日本人のセールスマンが欲しいとのことだったので、辞令が下りてすぐに香港入りしました。東京でもそれなりに勉強したつもりで、自信はあったんですが、そんなものが香港では全部打ち砕かれました」
楠井さんは、この香港時代に最も勉強したという。
「最初は会議でも発言できないし、電話も怖くてとれない状態。これではいけないと思って、自分あてのメールは全部プリントアウトして家に持ち帰り、復習するように読みました」
語学の壁もさることながら、香港という場所でのセールスのイロハがまったく分からなかった。そして、それを教えてくれる人も社内にはいなかった。
「ほんとに何も分からなくて、自分としては最終手段だったのですが、日本法人のエージェントにお邪魔して、そこの支社長に仕事のやり方を教わったんです。ホテルマンがホテルの営業のやり方をお客さんに教わったんですから、まったく筋違いですよね(笑)」
恥を忍んでのお願いだった。どうやったら現地のパンフレットに載せてもらえるのか、どのくらいの料金を提示するのが常識なのか、そういったことをお客さまである旅行代理店の支社長に教えてもらったのだそうだ。勇気のいることだと思う。
「でも、その支社長が丁寧に教えてくださって、感謝しています。その支社長とは今でもお付き合いがありますよ」
来春、ザ・リッツ・カールトン東京開業
自分のチームをつくることができるというのが、楠井さんがザ・リッツ・カールトンに籍を移した大きな理由だったという。
「マンダリン オリエンタル 東京のビルも三井不動産がオーナーでしたから、そのつながりでミッドタウンの計画についてはかなり詳しく知っていたんです。
街 の模型を見せてもらったとき、敷地面積の40%が緑地だということに感動しました。都会の中心に位置し、しかも緑あふれる土地に東京一高いビルが建ち、そ の中にホテルが入る。これはすごいことだと感じていました。今回は部長をやることができるということで、それなら最高の営業チームをつくりたい。そう思っ て、頑張っています。でも、面接に来る方が私自身よりもリッツ・カールトンについて詳しいので驚きます(笑)」
今、ホスピタリティの世界で何かと注目を浴びているリッツ・カールトンだが、そのすごさの根っこは「情熱」と「継続」だと楠井さんは感じるという。
「入 社するにあたって、大阪でオリエンテーションを受けたんです。従業員の温かさに感動しました。リッツ・カールトンはクレドの教育を正社員だけでなく、パー トや業者さんに対しても徹底して行なうんですね。総支配人を筆頭に、とてつもない情熱を毎日たゆまず従業員に注ぐんです。さすがだな、と感じました」
"とてつもない情熱を毎日たゆまず"とは、最もシンプルだが、ゆえに最もエネルギーのいることだとだろう。それを創業以来続けているのが、このホテルの強さだということだろうか。
「大 阪で『とりわけ情熱が強い部署はどこですか』と質問したら、『ハウスキーピングですね』という答えが返ってきて驚きました。お客さまの目に見えない部署、 パートタイマー比率も高いであろう部署が最もパッションを持っているとは、これまでに出合ったホテルとは違うことを確信しました」
一度、リコ・ドゥブランク総支配人とともにクライアントの企業に出向いたとき、先方からこんな質問をされたことがあった。
「リッツ・カールトンはすごいという話を聞くけれど、ほかのホテルと何が違うの?」
その質問に総支配人は間髪入れずにこう言った。
「People !」
うちのホテルのスタッフは最高なのだ、と総支配人が熱く語ったそうだ。
「ドゥブランク総支配人はスタッフの意見をよく聞いてくれる、尊敬できる総支配人です。われわれに期待しているのもよく分かる。最高のチームをつくって、その期待にこたえたいですね」
07年春、いよいよ「ザ・リッツ・カールトン東京」は開業する。
(2006年取材)
プロフィール
日本支社長
(インタビュー後編)
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(インタビュー前編)
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