高岡 昭(76年専門学校日本ホテルスクール卒) 阿蘇リゾートグランヴィリオホテル ゴルフ場 支配人
カルデラの中にある街
阿蘇地方といえば、九州の観光地としてその名を知らぬ人はいないと思う。しかし、実際に訪れてみると、熊本県外の人間にとっては意外と知らないことも多いということに気付く。
まず、阿蘇山という単体の山はない。阿蘇山とは、巨大なカルデラの中にある根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳の五岳と、それを取り囲む城壁のような外輪山を合わせた総称を指して言うのである。
阿蘇の外輪山はすごい。なんと一周が128kmあり、世界最大のカルデラといわれている。何十万年か昔にはエベレストよりも高い山がここにあって、それが火山活動によって陥没し、出来上がったのがこの大カルデラなのだそうだ。そのカルデラの中央で再び火山活動が起こって前述の五岳が現れ、結果として阿蘇の町はアルファベットのC字型になった。
阿蘇は外輪山という天然の城壁に囲まれた町なのである。その阿蘇にアーノルド・パーマー氏が設計した36ホールの美しいゴルフ場がある。阿蘇プリンスホテルゴルフ場である。今回は、その阿蘇プリンスホテル・阿蘇プリンスホテルゴルフ場の支配人、高岡昭さんにお会いした。
赤坂、迎賓館でサービスを学んだ
高岡さんはプリンスホテルスクールを卒業後、プリンスホテルに入社し、赤坂プリンスホテルに配属されている。当時の赤坂プリンスホテルはまだ新館ができる前で、客室数50ほどの小さなホテルだった。
「当時は料飲技術を究めたいと考えていて、本格的なフランス料理のサービスを身に付けたいと思っていたんです。そこに、運よく『ル・トリアノン』がオープンしたんですね。自分で希望して、そちらに異動させてもらうことができました」
レストラン「ル・トリアノン」は、プリンスホテルが最高級のレストランをつくろうと、「マキシム・ド・パリ」から人材をヘッドハンティングしてつくり上げた高級フレンチレストランだった。そこで、高岡さんはレストランサービスの基本を学んだという。
「料理も食器もシルバーも、見るものすべてが新鮮でしたね。一度、本家本元のマキシムで勉強したいということになって、同僚と6人でマキシムに食事に行ったことがあるんです。そこで小飼一至さんにサービスしてもらったのを覚えています」
小飼氏は現在、日本ソムリエ協会会長であり、㈱プリンスホテルのシェフソムリエとなっている。
「当時のトリアノンはVIPが大勢いらっしゃるレストランでしたから、大切なお客さまへの対応というものを学ぶことができました。最初のころは毎日が緊張の連続でしたけどね」
その毎日の緊張があったからこそできた仕事が、迎賓館での国賓接遇だそうだ。それまで帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニの3社で持ち回りだった迎賓館での国賓接遇にプリンスホテルが加わったのが、1985年である。高岡さんは料飲スタッフとして選抜されていた。
「アキノ大統領の部屋にもルームサービスで料理を届けましたよ。国賓が来ると、スタッフは10日間くらい迎賓館にこもりっきりです。その間の出入りは一切許されず、地下にあるサービススタッフ専用の宿泊施設で寝泊まりするんです」
勤めが終わって外に出たときは、何とも空気がおいしく感じるのだそうだ。
「やっとシャバに出られたなあという感じですよ(笑)」
83年に赤坂プリンスホテルの新館がオープンすると、高岡さんはパーラー「ファウンテンテラス」に異動している。
このころから高岡さんは一人のサービスマンとして生きるよりも、リーダーとして一つの店をマネジメントすることに興味を持ち始めた。
「ファウンテンテラスの上司が寛容な人で、27歳の私に店のことをかなり任せてくれたんですね。150万円かけてアイスクリームの機械を特注で入れたのも私のアイデアです。出張で東京に行った際、赤坂に行けばいまだにその機械を見ることがあります。懐かしいですよ」
毎日を単純作業にさせない
結婚して、九州に戻ろうと思ったころ、阿蘇にゴルフ場を併設したプリンスホテルができるという話を聞いて、90年に阿蘇プリンスホテル開業準備室に転属した。
「東京のど真ん中の赤坂で10年以上勤めましたから、今度はとことん田舎に行きたいと思っていたんです。希望が通ったのはラッキーでした」
レストラン担当として赴任した高岡さんの当面の仕事は、右も左も分からないスタッフたちへの教育だった。開業5カ月前にグループホテルで、同じくゴルフ場を近隣に付帯する北海道のニセコ東山プリンスホテルに100名のスタッフを連れて行き、研修させてもらった。
また、自身は「人に教えるならば」ということで、このころに日本ホテル・レストランサービス技能協会(HRS)の料飲接遇サービス技能審査試験一級を取得している。
「東京でやってきたことにそれなりの自信はあったものの、資格を持っていませんでしたからね。説得力を持たせるためにも1級を取りました」
以来、高岡さんはスタッフたちにもあらゆる資格に挑戦することを奨励しているという。
「ホテルの仕事というのは、ともすれば毎日が単純作業になってしまう。特にここに来館されるお客さまはゴルフがメインのお客さまで、食事がメインではない。だからこそ、資格を目指して勉強しないと、日々の張り合いがなくなってしまうんです」
現在、阿蘇プリンスホテルには料飲接遇サービス技能審査試験の1級取得者が9人、シニアソムリエが3人、そのほか利き酒師、テーブルマナー講師などさまざまな資格を有する料飲スタッフがいる。全料飲スタッフが22人だから、この資格取得率はかなり高い。
「支配人となった今では、スタッフの働きがいをつくることが最大の仕事だと思っています。例えば、うちのキャディは指名制をとっています。お客さまに指名してもらってキャディーに付くことは、とても大きな働きがいなんですよね」
阿蘇プリンスホテルゴルフ場のキャディーカートには、大きなキャディーの名札が掛かっている。名前を覚えてもらい、名前で呼んでもらいながらラウンドを回る。気に入られれば次回も指名される。それがキャディーの女性たちの大きなモチベーションなのだ。
「私はスタッフの満足度を高めることが顧客満足につながると考えています。だから、お客さまにスタッフの明るい笑顔を見せられるような職場づくりをしていきたいのです」
逆境、だからこその挑戦
大浴場からは阿蘇の外輪山が見渡せるわけだが、そこに表示してある景色の説明が日本語とハングルで書かれている。それで気が付いたのだが、大浴場だけではなく、このホテルの館内は到る所にハングルの説明文が書いてある。
「3年前からアシアナ航空がソウル~熊本直行便を週3本飛ばすようになりました。このホテルも、それまで年間で500人程度だった韓国からのお客さまが昨年は7,600人にまで増えました」
今、韓国人観光客は九州地方の観光産業にとって重要な要素である。
「ここのゴルフ場も、シニア会員の170人ほどが韓国人の方です。ソウル大学のOBたちの間で、阿蘇プリンスホテルゴルフ場が口コミで宣伝されまして、会員の方のほとんどがソウル大学のご出身。韓国でも富裕層の方たちで、われわれにとっては大切なお客さまになっています」
さらに今後は、中国からのインバウンドが大きく影響すると高岡さんは考える。
「北京オリンピックが1つの機になるでしょう。大陸から見れば、九州は日本の玄関です。ぜひ、中国の方にも阿蘇を訪れてほしい」
未来を熱く語る高岡さんだが、決して前途は平坦ではない。このほどプリンスホテルは、九州では阿蘇プリンスホテルとゴルフ場、宮崎県の生駒高原宮崎小林ゴルフコース、宮崎日向ゴルフコース、鹿児島県の鹿児島鹿屋ゴルフコースの4カ所の施設を事業再構築の対象事業所として検討することを決定している。
しかし、高岡さんはさらに意欲的だ。
「私はここに骨を埋める気持ちで来ています。いまはピンチがチャンスだと思っています。国内外から本格的リゾートとして認められる場所にしなければならない。リニューアルも含めて、抜本的に施設の改善と営業形態の見直しが必要だと思います。そのために新たな投資も必要でしょう。国内外でハイクラスなホテルを使い慣れているお客さまがお見えになっても感動できるようなホテルにしたいのです」
柔和な高岡さんの顔に一瞬、火のような意志が見えた。
(2006年取材)
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