田中 優二(89年日本ホテルスクール卒業) フレンチレストラン 「タテルヨシノ」/支配人
クープ・ジョルジュ・バプティスト
芝パークホテルのレストラン「タテルヨシノ」には、フランス料理の世界で最も権威あるサービスコンクール「クープ・ジョルジュ・バプティスト国際杯」で準優勝した田中優二支配人がいる。
はっきり言ってすごい。世界中のフランス料理のレストランで働くサービスマンの頂点を決める大会で2位なのだから。
しかし、当の本人の田中さんはこう言う。 「たかがコンクールですよ」
コンクールよりも日常業務のほうが、ずっと大切なのだそうだ。
「もちろんコンクール関係の皆さまや、周囲の方々には今でも大変お世話になり、感謝しています。でも、私は『たかがコンクール』って言葉を言うためにコンクールに出たようなものかもしれません。東大を卒業した人が『たかが東大』と言うのと、三流大学に行った人が言うのでは、全然意味がちがうでしょう。そんな感じです(笑)」
田中さんはこんなことも言う。「2位も100位も同じです」と。優勝しなければ、意味がないのだそうだ。基本的に「クープ・ジョルジュ・バプティスト国際杯」は人生で1回しか出場できない。だから、帰国してすぐにフランス料理文化センターが主催する「メートル・ド・セルヴィス杯」にエントリーし、こちらは見事に優勝した。しかし、優勝しても思う。「たかが、コンクール」
人生を変えたカリスマ
日本ホテルスクール卒業後に都ホテルに入社して、希望どおり料飲に配属された。コーヒーショップで修業してから、メインダイニング「グリル・クレドール」へ。 この「グリル・クレドール」で出会った金子龍彦支配人が、田中さんの人生を決めた。
「タキシードの着こなし、一挙手一投足、すべてが本当にかっこいい人だったんです。自分にとっては今でも雲の上の存在です」
例えば、なじみの女性客が来ると、金子支配人は両手を大きく広げて出迎えて両の頬にあいさつがわりのビズ(フレンチキス)をする。お客さまにメニューを見せることなど、ほとんどない。相手の好みを熟知していて、その日の完璧な食事の流れを金子支配人がつくり上げて提供するからだ。お客さまはすべての演出を任せ、そして満足し、多額のチップを置いて帰っていく。自分もこんな人になりたいと思い、一生をフランス料理の世界で生きていくことを田中さんは心に誓った。
「レストランのスタッフ全員が金子さんの下で一丸となっていました。カリスマ性のある、リーダーでしたね」
一度、仕事が終わってから、金子支配人が田中さんたちスタッフに向ってこう言った。
「今日、お客さまから言われたよ。『金子さんは、いいスタッフを持ってるねえ』とね。おれは本当にうれしかったよ」
その言葉を聞いた田中さんたちは深夜、帰りのタクシーで号泣したという。これくらいのカリスマがリーダーをやっているチームは、本当に強い。そして、いいサービスをする。
日々の仕事の勝負は"愛情"にかかっている
最初に「たかがコンクール」と書いたが、コンクールに勝つ技術を磨くことと、日常業務のレベル
を上げることというのは、どのような違いがあるのだろうか。
「決定的な違いは"愛情"だと思います。コンクールに愛情は必要ありません。普段、仕事を通してお客さまと接するとき、相手に満足してもらえるかどうかは、僕の愛情がお客さまに伝わるかどうかにかかっていると思います。どんなに技術が高くても、愛情が伝わらなければ意味がありません」
田中さんクラスのサービスマンであれば、いわゆる「自分のお客さま」を大勢抱えている。「あの店に行きたい」ではなくて、「田中さんに会いたい」と言って予約をしてくれるお客さまがいるのだ。そんなお客さまには愛情を注がずにはいられない。
「お客さまと信頼関係を深めていく時間は、友情や恋愛を深めていく時間に似ているような気がします。お互いに尊敬の念をもって接し、言葉でなく愛情を伝えるんです」
あこがれの店、そしてパリへ
東京・恵比寿の「タイユヴァン・ロブション」はフランス料理のサービスマンにとって、夢のようなレストランだったという話をよく耳にする。田中さんも、この店の一員になりたいと心から思った。
「給料はいらない。タイトルもいらない。コミでも何でもやるから、入りたいと言って面接を受けました。そうしたら、当時の総支配人が金子支配人と知り合いの方で、『金子の下にいたのなら』ということで採用してもらえました。それで、2年後にはシェフ・ド・ランの身分でパリの『タイユヴァン』に研修にも行かせてもらえたし、ラッキーだったんですよね」
初めてのパリは感動の連続だった。自分のやってきたことは間違いではなかったと、実感できた。
「自分が普段やっているサービスがパリでもそのまま通用するということがうれしかったし、自信になりました。ああ、自分のやってきたことは間違いではなかったんだと夢を現実にした瞬間でした」
コンクールより目の前のお客さま
「タテルヨシノ」の若林英司ディレクターと田中さんは、「タイユヴァン・ロブション」時代からの同僚だった。若林さんはその昔、吉野建シェフが小田原に開いていたレストラン「ステラマリス」のソムリエだった。
「吉野シェフが03年に『タテルヨシノ』を開けるということになって、そのとき若林さんに誘われて、一緒にここに来ることになりました。時期としてはコンクールで勝ち始めたときと、店を移動した時期は重なるわけで、ここに来たことで運が上昇したのかな(笑)」
吉野建シェフといえば、フランス・パリに開く自らの店「ステラマリス」がミシュランの1ツ星を獲得している。世界を舞台に活躍する日本人シェフの一人だ。そんなシェフを支配人である田中さんはどう見るのか。
「吉野シェフは、料理人としてはもちろん超一流。とても純粋な心で料理をするシェフだと感じています。それだけでなく、サービスのこともちゃんと考えてくれています。正直な話、私や若林などの人間を雇うのは小さいレストランにとっては大きなコストだと思うんです。でも、それを必要なものだと認めてくれている。とてもありがたいですね」
吉野シェフの口癖は「素直で笑顔でいよう」だそうだ。これはそのまま「タテルヨシノ」の社訓にもなっている。料理人もサービスマンも「素直で笑顔」でいること。まずは、それが大切だという。
「お客さまのご要望を調理場に伝えれば、みんな素直に聞いてくれるし、仕事はやりやすいです」
ここへ来てからは支配人という立場になり、「どうやったら、いいチームがつくれるか」を必死で考えているという。
目標は、あの金子支配人がつくりあげた都ホテルの「グリル・クレドール」のようないいチームをつくること。
「金子さんはカリスマでしたから、当時のみんなはホテルのためじゃなくて、金子さんのために働いているようなところがあった。僕は金子さんにはなれませんし、いまだに追いつけない存在ですが、スタッフにはお客さまと同じ愛情を注がないといけないと思ってます。彼らとは家族より一緒の時間が長いですからね。もちろん仕事ですから、怒るときは本気だし、厳しい人間に見えるかもしれないけど、お互いに信頼し合える関係になりたいからなんです」
「タテルヨシノ」は予約率が90%を超える。さらには顧客率が50%以上という、常連客の非常に多いレストランである。サービスマンとお客さまが家族のように付き合い、テーブルで出た要望がきちんと調理場に伝えられなければ、成立しない数字だろう。
「最近、お客さまに言われたんですよ。『吉野さんは、いいスタッフに囲まれてるねえ』と。その言葉が本当にうれしかったです」
田中さんは今日も常連客たちに愛情を注ぎながらサービスをする。コンクールで優勝するより、目の前のお客さまとの関係を深めることのほうが、ずっと大切なのだ。
田中さんに今後の目標を聞いたら、こう答えてくれた。
「これまでの運のよさと、お世話になってきたすべての方たちに感謝しつつ、生涯現場主義を通すことですね」
(2006年取材)
プロフィール
日本支社長
(インタビュー後編)
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(インタビュー前編)
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